失敗だらけの過去

失敗から多くを学び、大きなキッカケが。

すみません。ちょっとだけ重いです。

音楽業界での成功と失敗

あまり堂々と語れることではありませんが、過去に大きな失敗を何度もしています。

しかし、そこで大きな気づきや自分自身への変化がありました。

 

私は大学在学中にバンドで自主レーベルを立ち上げ、苦い経験をしながらも当時のバンドメンバー(仲間)と努力し、CDの全国流通やメジャーレコードレーベルから楽曲CDを出せるまでになりました。

当時は年間約500のバンドが生まれ、生き残るのはそのほんの一握りのバンドだけというバンドブームでした。

 

CDリリースとともに、私は音楽事務所経営とアーティストの二足のワラジを履きながらも充実した生活を送っていました。作曲・取材・アーティスト活動などで自由な時間は全くありませんでしたが、外国車に乗り、深夜番組や雑誌などに出るなど、回りから見ると生活は派手なものでありました。

しかし、諸般の事情があり、当時設立した音楽事務所は解散(倒産に近い解散)しました。借金も背負いました。

 

一番辛かったのが、当時の携帯電話の電話番号登録に数百件あった音楽関係者に電話をかけてもほとんどがつながりませんでした。当時、電話がつながったのが数百件のうちのたった3人でした。この時、心から「仲間の重要性」を実感しました。

 

当時、まだ若かった私は、「もう一度音楽で成功する」と心に決め、当時背負った借金を複数のアルバイトを掛け持ちし、約1年間ですべて返済しました。

お恥ずかしながら、当時はボロボロのホンダのインテグラという車の中で生活し、ほぼ公園での生活でした。近しい方はご存じなのですが、「トイレットペーパーが焼肉に変化事件」や「公園の草調理事件」などがありました。

 

そして、お荷物の返済後0円からの再始動を実行しました。

 

私の手元にある資産は、当時フェルナンデス社からスポンサーとして作ってもらった、私のモデルのギターただ1本でした。

 

アルバイトで社会経験をした私は、当時アルバイトで教わったビジネス経験と音楽を融合させ、新たなインディーズバンドを結成させ、新しい音楽事務所を設立し再チャレンジしました。1年間で多くの楽曲制作、CDリリース、短編映画・DVDなど様々なプロデュースを成功させてきました。

しかし、ビジネスが順調だった時、アーティスト業と音楽事務所経営の疲労から、全国ツアー中に倒れてしまいました。その倒れた所が悪かった。ステージから転落し後からスタッフに聴いたところ生死をさまよった状況でした。早急な復帰が難しくなった私は、無念ながら経営がうまくいっていた音楽事務所を売却し、音楽業界から引退をしました。


アルバイトからの開始。ビジネスパーソンとのしての再始動

音楽業界を引退した私は、アルバイトから社会生活を開始しました。当時の私は気づけば30歳になっていました。アルバイトの業務をひとつひとつ真剣に対応しました。そして改善すべき点があれば、提案し、必至にお仕事をしていきました。

ある時、大手企業でアルバイトをしていた私は、とあるお客様の課題に対し提案書を作成し、3.4億円のビジネスを受注しました。これにより、アルバイトだった私が正社員となることができました。また、当時の会社で社長賞や最優秀社員賞を得ることができました。

 

しかし、社長賞や最優秀社員賞を得た私に課せられる新たな仕事はどんどん大きくなりました。複数のプロジェクトを掛け持ちすることも多くなりました。当時は、鉄砲玉のように、がむしゃらに仕事をこなしていました。そんなある日、張り詰めた糸が切れるように、プロジェクトの終了と同時に疲労と心労が重なり、倒れてしまうという事態が発生しました。医師の診断により2か月間の療養を余儀なくされたのです。仕事場に出られない申し訳なさと、不甲斐なさで打ちのめされました。

 

その時に病床に届けられた「プロジェクトマネジメント」の知識体系

病床で、当時の私に、同僚でもあり友人でもあった人が渡してくれたのが、PMBOK®(プロジェクトマネジメントの知識体系)でした。私は目からうろこでした。今まで、アーティストでも会社員でも、がむしゃらにやれば成果が出ると思っていたのですが、この米国の技術は、目標設定を明確にし、その目標をどうやったら実現できるかという計画の手法、そして実行手法が記載されていました。

 

病床から復帰後、この知識体系に沿って、米国N.J.州出身だったこともあり、グローバル・プロジェクトに従事し、複数のプロジェクトを成功に導きました。しかし、当時の日本では、IT以外のプロジェクトでこの手法は日本に浸透しておらず、なかなかこのプロセスをメンバーやクライアント、プロジェクト利害関係者に理解されず、苦労したことを覚えています。(プロジェクト成功後は皆さんプロジェクトマネジメントの重要性をご理解いただけるのですが、、、)

 

勇気をくれたMBAプログラムの仲間

会社員として悩める日々を送っていた中、もっと自身をスキルアップし、もっと世の中のために価値を提供したいと考えた私は、当時の貯金を振り絞って、大学院のMBAプログラムを受験しました(後から聞いたのですが、私は補欠だったようですが、、、)。


そこで、素晴らしい出会いがありました、年齢は20代~50代まで幅広い方がおり、お互いの経験や知識をぶつけ合う素晴らしい場所でした。日々研究し、切磋琢磨しました。

今もそうですが、在学中から多くの本を読み、実際のビジネスにその知識を投下し、それが本当なのか、本当でないか、本物なのか、そうでないのかの検証を始めたのもこの時からでした。

 

このかけがえの無いMBAの仲間と出会えたからこそ、過去の失敗を経て再度起業しようと決意しました。

 

もがいている起業家の一助になりたい

既述のとおり、ビジネスの世界で「絶対」というものはありません。ただし、起業したい、世の中に自分でできる価値を提供したい、と思っている人は多くいると考えます。そして、起業は何もビックビジネスを狙ることや、キャピタルゲインを狙う人のものだけではありません。「世の中に自分でできる価値を提供したい」という気持ちが一番重要なのではないでしょうか。

 

私は、私の過去の失敗を、他の人には味わってほしくないと考えます。

だから、現在経営している企業も独自の経営スタイルをとっています。そして、自ら経験したことをセミナーや研修などでお伝えしています。


古代エジプト文明でも「最近の若いものは、、、」という愚痴があったとお聴きしています。先人の教えは若い人にとっては「耳にタコ」というのは十分に理解しています。けれど、これからの日本を担う人々に私の経験、そして私の経験から得た正しいことを伝えていきたいと考えています。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 

私が大切にしている言葉